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「ダライ・ラマ十四世と柔道」
インドのデリー市から北へ530km、ダラムサラという小さな街は世界中に名を知られている。何故ならば此処に「ダライ・ラマ十四世」と一万有余のチベット人が亡命生活を送っているからである。
成田山新勝寺を筆頭に宗教関係者以外で「ダライ・ラマ十四世」に表立って支援された最初の日本人に綜合警備保障(株)の創立者、故「村井順」氏が挙げられる。
1975年頃から「ダライ・ラマ十四世」が来日される度にドライバー付きの警護車を提供され、京都・奈良の寺院をご案内したり、身の回りの御世話をしたのだが、その際、綜合警備保障(株)柔道部主将として法王の随員(セキュリティー)に柔道や護身術の手解きをしたのが、法王と私の御縁の始まりです。
村井順氏が亡くなられた後、警備業界で法王の御支援を引き継がれたのが「テイケイ株式会社」社長高花豊氏で、当時同社の教育担当役員だった私と、極真空手の師範(現、清武会代表)西田幸夫氏にダラムサラ訪問の機会を与えて下さった。
2003年5月25日、7回目のダラムサラ行きに出発、今回は6月、7月の2ヶ月の間現地に留まって指導を行う「古田英毅」参段、秋田高から立教大で鳴らした父の道場で鍛えられ、秋田高→早稲田大と進み60kg以下級秋田県チャンピオン、現在早稲田大学理工学部柔道部の指導員を勤める頼もしいパートナーが一緒だ。成田発12時00分、飛行時間述べ11時間余、19時30分インデラガンジー空港着。一時間半の休憩の後、チャーターのタクシーで出発。一路ダラムサラに向かう。530キロはほぼ東京から大阪と同じ距離であるが、航空路線なし(注)、鉄道網なしのインドではもっぱら車の移動となる。
日本の皆様は東名から名神と走り継いでおよそ6時間くらいを想定されるでしょうが、高速道路皆無のインド、しかも、国境を接する中国、パキスタンから戦車による侵攻を経験している国故道路はわざと狭いのである。
人力の力車、オート力車、牛馬の荷車、テイラー、トラック、オートバイ、乗用車、凡ゆる車種の車が速力優先、クラクションとライト点滅による軽業的な追い越し、何度通っても想うこと(日本の暴走族を助手席に乗せて100km走行を体験させたい)は同じだ。
かくして一番安全といわれる夜間走行11時間、5月26日10時前にダラムサラ、チベットホテルに到着。出迎えのテンジン・フィンソック、ロブサン・ソエパ両氏とミーティングを行い3時間の仮眠後いよいよ第1日めの指導がスタートした。
セキュリティーの交替時間に合わせ、午前6時〜8時、午後3時〜5時、午前の部は主に固め技の基礎、袈裟固、上四方固、横四方固の正しい抑え方、逃れ方(返し方)。固技の打込・・・・・・と名付けた(1)袈裟固返 (2)横四方固返し (3)引込返 (4)帯取返 (5)回転縦四方固 (6)回転崩上四方固 (7)前三角腕挫十字固 の反復。
セキュリティースタッフは全員インド陸軍出身。中でも山岳民族であるチベット人で編成された部隊は最精鋭で寒さにも強く、国境紛争には先遣隊として真っ先に投入されるという。足腰も強く、スタミナもあるが日本語を通訳できる人が一人もいないため全部英語で説明しなければならず、古田君は身体を休める時間も惜しんで奮闘していたが、ニヶ月間で可成り会話力を向上させることでしょう。
午後は投技の指導、八方の崩し、運足、膝車、支釣込足、出足払、大外刈、背負投、正味4日間ではこれが精一杯、7月末まで残留する古田君に後は任せた。
デリーに戻る日、朝稽古終了後セキュリティーの隊長「テンジン・タクラ」(ダライ・ラマ十四世の長兄の息子)氏から、西久保先生は今回で7回目の指導に来てくださった。柔道のみならず、精神的な教育もあって、セキュリティースタッフの士気が挙がる。とのメッセージと記念品の贈呈を受けたが、精神面の評価を受けた事が嬉しかった。
ヨーロッパへ出向中のダライ・ラマ十四世に謁見はかなわなかったが、チベットの復権を願うセキュリティースタッフの熱情が柔道を通じてひしひしと感じられた一週間の旅でした。

(注)最近、ダラムサラに飛行場が完成、週4回デリーとの定期便が往来している。
( 講道館「柔道」八月号掲載 )